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あきかぜに

 投稿者:はりまの shioz  投稿日:2010年 9月23日(木)23時49分19秒
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  terraさんの予言どおりに、メッキリ涼しくなって肌寒さを感じさせるほどです。

嗚呼のお方のお飾りが出てきましたが、今宵の月はと仰ぎ見れば、むらくもが湧き出でて流れ、左京大夫の「あきかぜに たなびく雲の たえ間より もれいづる月の かげのさやけさ」という歌そのままの満月でした。
昨日の写真は手振れのお粗末でしたので、三脚を用いて撮影した 今宵の満月と木星を改めて上呈させていただきます。(雲の色が美しいでしょ!)
相対位置は、当然、昨夜とは変わって、月が東(左)になっています。

話は「ジョスランの子守歌」に変わりますが、近藤朔風と山口謠司さんの訳詩を並べて、読み比べてみました。
山口謠司さんが、朔風の訳詩を『すごい才能だとつくづく感心させられます。』と評しておられますが、自称 多少とも 裏形のzなんぞには、とても同じ詩だとは思われないほどで、感心の領域を遥かに超えております。

「天降る(あもる)」については、mokkiさんは万葉を引用していますが、古事記にも、『かれここに天の日子番の邇邇藝の命(ヒコホノニニギノミコト)、天の石位(イハクラ)を離れ、天の八重多那雲(ヤヘタナグモ)を押し分けて、陵威(イツ)の道(チ)別き道別きて、天の浮き橋に、浮きじまり、そりたたして、筑紫の日向の高千穂の霊(ク)じふる峰(タケ)に天降り(アモリ)ましき。』ともあるように、皇室(或いは)神道の世界の用語で、人物が「あまくだる」或いは「行幸する」ことに用いられるのではないかと思われ、それを強いてキリスト教の世界に当てはめれば、「キリストの降誕」或いは「天使の み使い」がイメージされるような気がします。
それに対して、「惨き定め」が「天降る(あもる)」という用法は、朔風の発明のような感じがして、ワタクシ的には余り馴染めません。 (そこが、すごい才能 なのかも?)

尚、「あふる」が「溢れる」という意味で「あふりて」と活用する形は無いので、「あふりて」という発音であれば「煽りて(あふりて)」のように思われるが、「身に煽る」とはどういう意味になるのか???

「祈りに泣きぬ」については、「し」は過去の助動詞「き」の連体形なので、その後に続く名詞を修飾するのに対し、「ぬ」は完了の助動詞の終止形で、その連体形は「ぬる」です。
従って、詩の流れからすれば、終止形の「泣きぬ」が妥当なように思われます。
但し、こじつければ、1番の「祈らばや」が「ゆめのまきまきに」に係るとすれば、2番を「祈りに泣きし」-「ゆめのまきまきに」と係るという解釈が成り立たないものでもない ・・・ 然し、そうすると、「あこがれよ」は、呼び掛けなのか命令なのか???
 
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