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写真:「師走の風景」(撮影:平岩祥平)
早くも今年も残り一ケ月を切りました。飯田地方では特産市田柿の出荷が始まりました。
天候に恵まれて今のところ良い品物に仕上がっているようです。
大根の収穫の時期でもあり、軒先つるしてあるのを見かけます。
天竜川舟下りも暖房舟に替わりました。屋根と側面は透明樹脂で、中は「豆炭こたつ」で好評の様子。
◆写真 1. 弁天港の暖房舟
◆写真 2、3 豊丘村から高森・山吹地区を望む
BGM♪「里の秋」
(斎藤信夫作詞・海沼実作曲)
静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります
飯田高校同窓会ホームページ・高校12回生の部屋
還暦記念下部温泉狂宴アルバム(一人一人の41年前タイムスリップ写真付き)
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女性三態
投稿者:
コーメイ
投稿日:2009年11月 8日(日)22時36分4秒
編集済
その日は、一人寂しく、伊勢のホテル内の、海鮮のお店で、夕食をとった。後方に3人連れの元気のよい、中年女性の客があるだけ、と思っていると、個室らしい部屋から、5〜6人の客が宴会を終えて出ていった。
5点盛のお造りと焼き鯵をポン酢でいただく。季節感を出すためか、鯵の器に黄色い栗が1粒添えられていて、仄々とした気分になった。
レジで勘定をしようとすると、若いレジ嬢が、「4万7千5百円になります!」という。「え!そんなお金もってないよ!」というと、「あっ!すみません、4千7百5拾円です。お客さんお金持ちに見えたので、間違えちゃいました。」と可愛らしく笑った。前の宴会の支払いが最初の金額とほぼ同額だったようでもあるが、間違っても、人を怒らせない機転には、痛みいった。
翌日、日中、在来線で移動。反対側の長い椅子に若い女性がずらりと並んで座っていた。正対面する女性が、一番の器量よしだな!とチラチラ視線を向けたりしていると、お相手も何となく、気配を察したのだろうか、こちらに視線を返したり、反らしたりしている。
暫くすると、その女性、席を離れ、ドアの近くに立ち、携帯を出して、何かを始めた。ドアガラスに映る彼女の顔などから想像すると、どうも、通話でも、メールでもなさそう。こちらの視線が少し、いやらしかったのかな?と反省していると、駅に着き、ドアが開くと、何事もなかったように降りていった。
暫くして、こちらも在来線から、こだまの自由席に乗りかえた。空いていたので、2人掛けの席に座り、隣の空席には、荷物を置いた。熱海から、シックな洋服を着て、コロンだか、香水の芳しい香を感じさせる、50代半ばと思しき女性が、わが席の荷物を指差し、「よろしいですか?」「どうぞ!」ということになった。
彼女は、何故、我が隣の席を選んだのか?3人掛けの通路側に、1席スペースを置いてゆったり座れる席や2人掛けでも、荷物が置いてない席は十分ある。この女性、熱海から乗車してきたからには、いわゆる「熱海」の雰囲気を漂わせており、携帯で何か少し操作したあと、文庫本を取り出し、読書を始めた。我が下車する小田原迄は、10分余り。この女性が我が隣を選んだ謎を解明するには、余りにも時間が足りなかった。
むかご
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年11月 8日(日)10時54分39秒
7つ なんばんうり なすうり なうり
8つ やまのいも 9に くりくわい
山芋の葉が紅葉しました。
プランターの端に埋めておいた山芋の切れ端から伸びたツルには、沢山のムカゴができて、何回かムカゴご飯を楽しむことができました。
とうろう
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年11月 7日(土)11時33分49秒
灯篭じゃなくて蟷螂(かまきり)のほうです。
ちょいちょい、でかいのがやってくる。
でも、鎌に挑んだんじゃ、それこそ蟷螂の斧になっちまうべ。
まして、腹なんぞ見せちまっちゃああかんぜよ。
三態
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年11月 6日(金)14時21分55秒
三体
東横線渋谷駅に、折り返しの急行が入ってきました。
AAが乗り込むと、横浜方面から来た乗客は全て降りたというのに、イギタナク眠りこけている若者がいたので、親切なAAは「終点ですよ。」とお節介にも起こしてあげたというわけです。
薄目を開けたその若者は、別段礼を述べることもなく、今度は足を思い切り投げ出して再び眠りに入り、横浜に着いても降りることはありませんでした。
本当に余計なお節介だったかも知れません。
駅から会社までの途中に交差点があります。
足取りもおぼつかないジイサンが杖をついて道路を横切っていました。4〜5メートル先には横断歩道があるにもかかわらずです。まわりの車や人にはたいそう迷惑なこと。
そこから少し歩いたところに、電柱が張り出していて歩道が狭くなっているところがあります。
向うから乳母車を押した若いお母さんが来たので、急いではいたけれど立ち止まって道を譲ってあげたのですが、一言の挨拶も無しに擦れ違っていきました。
世の中、自分のことばっかりで、人様のことにまで配慮がいかなくなってしまったのは、一体いつからのことなのでしょう?
そんなヤツには次からバチでもあててやろうか?
なんてったって、AAは神様からバチをあてるお許しを頂いているんだから・・・
立待
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年11月 5日(木)20時25分42秒
月に群雲、鼻に風邪。
えつ、違うって?
今宵の月は雲がかかり、夕刻から冷え込んだ外で眺めるにはちと寒すぎでした。
花鳥風月、風流を楽しむにも勇気が必要です。
50周年記念行事への参加について
投稿者:
東京三五会 イイ幹事
投稿日:2009年11月 5日(木)14時01分25秒
卒業50周年記念行事の推進については、実行委員長はじめ、各担当委員の皆様には、多大なるご尽力をいただいており、他郷に暮すものにとって、誠に有り難く、深く感謝いたしております。
関東地区より参加する交通手段は、高速バスが通常ですが、3連休、高速通行料の軽減処置等で、そうとう混雑・渋滞が予想されております。 混雑はあっても、渋滞のない、鉄道利用が無難かと思われますので、参考までに調べてみたところ、次の3経路が考えられます。
経路1のあずさ7号、新宿・岡谷間の指定席は、イイ幹事(電話04−2943−3226)が10席ほど確保しておりますので、ご利用いただける方は、ご連絡ください。
経路2、経路3につきましては、各自で指定券等のご手配をお願いします。また、経路3は、到着が遅くなりますが、ホテル送迎バスの出発時刻を考慮していただき、利用させていただきます。
経路1 08:30発 14:35着 所要5時間24分
08:30 新宿発 あずさ7号 (08:59 立川発 09:09 八王子発)
11:11 岡谷着 (乗り継ぎ昼食休憩1時間18分)
12:29 岡谷発 飯田線・天竜峡行
14:35 飯田着
経路2 10:00発 14:35着 所要4時間25分
10:00 新宿発 スーパーあずさ11号 (10:33 八王子発)
12:09 上諏訪着
12:14 上諏訪発 中央本線・長野行
12:24 岡谷着
12:29 岡谷発 飯田線・天竜峡行
14:35 飯田着
経路3 11:00発 15:49着 所要4時間49分
11:00 新宿発 あずさ13号 (11:23 立川発 11:32 八王子発)
13:28 岡谷着
13:32 岡谷発 飯田線・天竜峡行
15:49 飯田着
祝・飯田高ラグビー花園出場
投稿者:
飯田35会・平岩
投稿日:2009年11月 4日(水)12時30分42秒
昨日、長野市で岡谷工と対戦し先制許すも逆転で花園で開催される全国大会(12月27日から)に出場する。結果は34−12で飯田の勝利。
学校側(同窓会)からは、すでに8月頃から寄付の話が出ているようです。
ウコギの苗
投稿者:
はりまの shioz
投稿日:2009年11月 3日(火)22時45分47秒
昨日は、播磨の地でも“木枯らし1号”(1番とは言わないようです)が吹き荒び、そして今日はぐんと冷え込んで、我が家でも暖房のお世話になりました。
宵の空は冷え冷えと晴れ渡り、、2日前と同じように ほぼ真ん丸の月が、すばるの辺りで冷たく光っておりました ・・・ 夜半近くには、東天にオリオン座の星たちが昇ってきて ・・・ もう冬が来たのでしょうか。
本題に入って、今年挿し木をしたオコゲの苗が、5株生き残っているのですが、もしも御所望の方がおいででしたら、希望数量と、受け渡し方法(50周年記念の時に手渡し、或いは、宅配便で配送)を ご連絡下さい ・・・ 早い者勝ちです。
もちのつき
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年11月 3日(火)21時04分23秒
けふは、朝からさむうありました。
昨日は、急に寒くなって冬一番が吹き荒れて、空の雲をふきはらってしまったのか、今外で眺めたばかりの中天に浮かんだ月は冴え冴えと煌き、3つに分かれてみえました。
かけたることのたえてなければ・・・通長
えつ、違うって?(かけたることも なしとおもえば・・・道長)
違うっていえば、冬一番とは言わず木枯らし一番というらしい。
春一番とはいうのにね。
開口一番とか、いの一番とか、カステラ一番?とか、一番にもいろいろあります。
Zっちゃんの文学的表現と違って、ちょっと管毛すぎたかしら?
嘘ついたら
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年11月 2日(月)17時02分14秒
編集済
針千本の〜ます。
ハリセンボンではなくて、チョウセンアサガオの実です。
これは、毒です。嘘じゃなくてホントです。
のちのつき
投稿者:
はりまの shioz
投稿日:2009年11月 2日(月)00時12分33秒
今日は旧暦9月15日 ・・・ 一昨日の十三夜は播磨の空は曇り空で、雲の向こうに微かに月の形が窺える程度で、昨夜は晴れたものの空は白く濁っていて月の光もなんとなく寂しげ、今日はひるまえから雨が降り出してしまいました。
然し、その雨も夕方には止んで夜半近くには雲が切れ始め、雨に洗われて濃紺に見える空を背景に、月の光に照らされた真っ白な雲が上空の強い風に流されて、千切れながら流れていました。
そして、ほぼ真ん丸に見える月(望は3日ということになっていますが)は煌々と輝いて、千切れ雲の間を縫うように泳いで行く姿は神々しくもあり、一ヶ月前の名月に勝るとも劣らないものでございました。
1対1に戻った札幌では、ドームの中では勿論のこと、ドームの外でも、昨日・今日とも、この美しい眺めは見られなかったことでしょう。
伊賀上野入交家住宅は今…
投稿者:
terra
投稿日:2009年11月 1日(日)11時34分4秒
mokkiさんの女談義、オット“龍馬の女”追跡の取材、司馬遼太郎も真っ青。凄いね。
入交家住宅のことを調べようとしたら、それは大変、戦国時代から追っかけなくてはなりません。それに土佐の高知県はもちろん、伊賀上野にしても重要文化財として、市に移管したとはいえ、生活者であり軽々に書くものでもありません。
武市半平太も然り。子供がいないまま獄中の露と消えた武市の奥さんは養子をむらい、その子孫が現在半平太の遺品を保管している
又、桂浜に龍馬銅像を建立した入交好保さんは高知での本流、思想家であり、ゴルフ場,鉄道、ガス会社など作った。そして日本郵政の社外取締役になられた入交太郎氏は、お孫さんかそれとも曾孫さんか、いずれにしても入交家本流の社長です。
伊賀上野の入交家については市がPRしている案内文の要約で変えたい。
1600年の関ヶ原の戦いでは長宗我部氏が西軍についたため東軍に破れ、家臣の入交氏も無禄になったが、伊予宇和島8万石から伊予今治20万石に加増移封された、東軍の藤堂高虎が積極的に土佐衆を召抱え、当時の入交家の一部が藤堂高虎に属した。藤堂高虎はその後、徳川家康に重用され伊勢・伊賀32万石を与えられたので、入交家の一部もこの時伊賀上野にやってきて居住した…
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
ということは法隆寺の鐘は、柿を食べると鳴るの?
写真は入交教授の長宗我部から山内政権への移行過程を研究した本
散歩
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年11月 1日(日)09時08分55秒
きのふは天気もよいことだし、久しぶりに近所を歩いてみました。1キロでも3歩とはこれいかに?
鳥の名前がついた植物がいろいろ目につきました。
ホートトギス はやもきなきて
初夏でもないのに・・・
ホトトギスとカラスウリです。
隣の柿は
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年10月31日(土)16時30分37秒
よく客くう客だ。
えっ、違うって?
散歩していると、いろんな種類の旨そうな柿がなっています。
体験的史談
投稿者:
mokki
投稿日:2009年10月31日(土)09時22分36秒
編集済
terraさんの歴史話には、自分の体験が重ねられているのがまた得がたいところ。
岩村城の二度にわたる落城話のときも、武田や織田の攻撃軍が歩いた道を実際に自分で歩いているらしいし、旧東海道の踏破はもちろん、昭和になっての話でも、例の岩手・田野畑の話は早稲田の恩師・小田泰市氏がらみの体験談から来ていました。
で、今度の高知・龍馬がらみの話。これも体験から来ていて、入交一族の話が出たときは、これはもしや例のホンダ社長レースに破れ、セガの社長になったあともいろいろあったあの入交氏の一族か、と思っていたら、今度の投稿でやはりそうということでした。
あの三五会九州旅行のときは、龍馬とお龍が登った高千穂の峰に、彼らのときとほぼ同じ季節に登り、あまつさえterraさんとmokkiの二人は、龍馬が「やけ土さらさら、すこしなきそうになる」と手紙に書いたざらざらの砂礫を、滑り降りるように下って一行を待ったのでしたね。
terraさんほどは歴史の現場を歩いてはいませんが、こんどの龍馬地図では、初恋の人・平井加尾ちゃんより「かほかたち少しよし」という女剣士・千葉佐那ちゃんのその後のことなども、訪ね歩いています。
よく言われる龍馬との婚約は本当だったのか、明治になってからは千住で千葉灸治院を開いたのち、学習院女子部の舎監を務めるうちに、坂崎紫瀾の書いた龍馬初の伝記『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)を読んで、文中、龍馬の恋人として描かれた千葉周作の娘・光子のことは事実に反すると主張。没しては、灸治院に通った板垣退助の紹介で知った甲府の自由民権家・小田切謙明の縁で、甲府市内の寺に「坂本龍馬室」つまり正妻と刻んだ墓碑を立ててもらったといいます。
その足跡や事実関係を知るため、彼女のインタビューが出ていた明治中期の雑誌「女学雑誌」を山梨文学館で探し当てた(!)ので、今度はその寺や、インタビューを受けた小田切邸の後を訪ねたいと思っています。
もちろんすでに歩いた薩摩、霧島、長崎のほか、お龍とおそらく一番長く暮らした下関、海援隊の船・いろは丸が沈んだ鞆の浦沖等々、そして主舞台の京都、出生地・土佐でまだ行ってないところ、生まれた上町、岩崎弥太郎の保存されている生家などなど、まだまだあちこち歩いて龍馬の足が感じた土地、龍馬の目が見た風景を写真に撮りながら、地図を作りたいと思っています。terraさん、ぜひいろいろ教えてください。
すった
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年10月30日(金)13時43分17秒
昼食を摂りに行った先のTVで、何回も繰り返し女子アナが言うんでまいったぜよ。
「マリハナ」をすったっていうんだけど、掏ったのか擦ったのかと思ったら、吸ったということらしい。
天下の公器を使うんだから、もそっと気をつけてアナウンスして欲しい。
こういううるさいことを言う人が局にいないのか、言えないのか尻馬洗が、まっことおえりゃあせんぞな。
土佐の名家 入交家は今…
投稿者:
terra
投稿日:2009年10月30日(金)10時59分7秒
編集済
新政権による日本郵政株式会社の新役員が決まった。新社長の他に、曽野綾子さんや、内外の著名人がずらりと指名されました。
その中に、地方の社外役員に、高知の名門入交本社の社長、入交太郎氏が選ばれた。入交家は、高知県経済界で断突だが、県内ばかりではありません。もう10年になりますか、ホンダの副社長からセガの社長になられた高知出身の入交昭一郎氏が、華麗な転進と報道されたりしたこともありました。
この前の書き込みで、月形オット武市半平太研究の,第一人者の入交好脩(いりまじり よしなが)のことは書きました。そして桂浜の龍馬銅像のことも…。
来年坂本龍馬の大河ドラマが予定されている。
龍馬の半生は武市半平太抜きには語れません。
関ヶ原の戦いで土佐の長宗我部は西軍についた為に破れた。そして家康により、土佐は、24万石の大大名になった山之内家の時代が、300年続いた。
戦国時代から入交家は、一領具足で有名な長宗我部の武将であった。山之内の国替えにより、長宗我部は乗っ取られた形になり、上士,郷士といった、土佐藩は日本で最も厳しい身分制度の時代が続いたのです。
その入交家が何故、今日高知県一番の名家になったのか、その経緯が気になります。
現在の入交経済を作った元は、江戸時代の中期、石灰に注目したことでした。
伊那谷もそうであったように、この時代土佐でも、紙漉業が主たる商業生産。
なぜこの時代に石灰?鉄鋼業でも使うという。農業でもホウレンソウを蒔く前に,土壌改良で消石灰を使う。あの石灰?
石灰の話はさておき、夏に伊賀上野に寄った。この時、最近市民に開放された武家屋敷“入交家住宅”という建物を見ました。(つづく)
写真は江戸中期台風で倒壊、昭和の始めに建てられた伊賀上野城
酒家
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年10月29日(木)14時34分2秒
朱夏じゃなかった白秋さんの枳殻の実のことなど、つゆ思い浮かび申さず候へば、まっことなんぎなことだぜよ。(因みに、朱夏ってイッパツでは漢字変換しない。)
金の鈴ではなくってタマですか。
さすが亀の甲より年の功、博学でおじゃるのう。
なんですと?甲より頭のほうが大事なんですと?
春になっても腫れることはいと少なのうなりつりておじゃるよ。張ってすっきり○○○パスな〜んてね。
Zっちゃんもハンリュウーに大分凝ってるようですが、柏雀さんと同じくAAも凝っております。やっぱり、なんとかパスを貼らないといかんずらか。
でも、ヤンバンだかヤマンバだか知らんが、ドラマの流れのなかに出てくる論理は恨(ハン)のよってきたる原因がわかって面白いけれど、結構いらいらして見ています。
ハンとは、本来こうあるべきだというのが現実と違うのを捻じ曲げてでもリソウと思う形にしようとすることなんだとか。
今日は、加勢のズボンというのを見たぜよ。
スカートの下にGパンというのかGパンの上にスカートというのかのイデタチのネーチャンが居ました。まっことなんぎなことだぜよ。
ついでに・・・
AAは、ハナハダじゃなくってシワハダが目立つようになりました。
春雨じゃぬれてかえらう
投稿者:
terra
投稿日:2009年10月29日(木)08時02分24秒
編集済
mokkiさんの龍馬シリーズ期待しております。!
来月15日は龍馬の誕生日であり、命日でもあります。今龍馬記念館では桂浜の龍馬(銅像)に年賀状を送ろうという企画があります。そこで銅像建立の経緯と、その後について検証してみたい。
司馬遼太郎が生まれて間もない頃、昭和のはじめ、早稲田の学生入交好保が中心になって、桂浜の龍馬の銅像は完成した。後を追うように中岡慎太郎の銅像も建立した。
その後戦時下で山之内容堂や、板垣退助らの銅像は、皆供出されたが、海援隊長坂本龍馬と陸援隊長中岡慎太郎の銅像は供出されることは無かった。長い歴史が育んだ土佐人の心意気です。
昭和の30年代中ごろ、司馬遼太郎の名作“竜馬がゆく”の連載が一世を風靡していた。
この頃小生入交好脩教授より、幕末土佐のゼミを受ける機会に恵まれた。先生はその当時武市半平太の研究、出版をされていた。
昭和の終わりころ、龍馬を一躍有名にした司馬遼太郎を主賓に迎えて龍馬銅像建立の還暦の祝いをしたのであります
銅像を建立した中心人物入交好保と、大学教授入交好脩は兄弟であった。
入交家は現代の高知県を代表する名家であり経済界その他いろんな方面で活躍しています。兄好保は会社経営の他、文筆活動、そして弟好脩は経済史分野の博士号、学部長、名誉教授と学者の道を極めた。
月さん雨が… 春雨じゃぬれてかえらう
おなじみの月形半平太の名セリフである。
戯曲や映画で有名な“月形半平太”は、司馬遼太郎も実家を訪ねていますが、一般には武市半平太をモデルにしたといわれています。
しかし入交先生は強く否定されていた。土佐人の気持ちも概ね同じでしょう。入交さんは武市半平太研究の一人者です。
娯楽映画と、生々しい悲劇の人物とは違い過ぎます。維新後大酒飲みの山之内容同堂も、惜しい人を死なせてしまったと、酔う度に残念がったという。その後武市半平太も銅像が建立され、土佐人に長く敬愛されています。
以上とりとめもなく書きました。…
風のズボン
投稿者:
mokki
投稿日:2009年10月29日(木)04時16分38秒
編集済
加古川の翁は、寝ておったのか「起きなっ!」って言われて起きてきたのか、相変わらずの健筆健写で楽しませてもらっております。
terraさんもAAさんも、両手どころか前も後ろも花に囲まれて、ハナハダ結構な人生です。
「花の街」の「の」を取るとどうなるとか、またAAさんの挑発にうっかり乗って、どうせあれでしょ、白秋の歌なる枳殻の熟れた「金の玉」とか、NHKの朝ドラでやっている「ウェルかめ」の「亀の頭」とか、ラララ紅い花束の「春の歌」から「の」を取ったらどうなるって、そういう類のAA好みで mokki 苦手の話になりそうなので、遠慮しておりました。
2、3日まえは加古川からの風のリボンが寒かったのか、風邪を引きそうになって冬ズボンを出しました。色気ないけど「風のズボン」です。
その「起きなっ!」さんからご下問ありました『坂の上の雲』に関する出版は、ご案内したつもりでおりましたが、すでに今年の春ころ関西大学教授・谷沢永一氏に『「坂の上の雲」を読む』(幻冬舎)を書いてもらっております。
この手の本はたくさん出ていますが、谷沢氏の取材中に、『坂の上の雲』なんか自分としてはとっくに読んでしたし、よく知っていたはずなのに、話を聞くにつれ、「おれはこの本のどこを読んでいたのだ」と思い知らされる場面がしばしばあり、『読んでるようで読んでない「坂の上の雲」』(ちょっと長いですが)というタイトルにしたかったのです。
しかし、出版社としては氏のほかの「〜を読む」シリーズが売れているので、それに合わせたいということになり、このおとなしいタイトルになってしまいました。
この本に限らず、若いころ読んでいて知ったつもりになっている名作・古典などを、この題名でもういちど見直したいと、先週、大阪で谷沢氏に話したら、「うん、おもしろい、できるね」と言ってくれました。『読んでるようで読んでない夏目漱石』『読んでるようで読んでない太宰治』『読んでるようで読んでない芥川龍之介』あたりからやりたいですね。
そういえば『源氏物語』が好きだという女性に聞いたら、「明石がえり」といって、たいていそのあたりまででやめてしまう人が多く、ちゃんと読んでいないといいますから、『読んでるようで読んでない源氏物語』もアリかも。
司馬遼太郎は、作品ごとにやってもいいくらい愛読者がいますが、『坂の上の雲』以外にはどうでしょう。また『竜馬がゆく』になってしまうのでしょうか。
評論家・川本三郎氏が、「これを読むのは日本男子の嗜み」と言って「一平二太郎」、藤沢周平、司馬遼太郎、池波正太郎をあげていたことを最近知りましたが、これはたまたま例の恥ずかしながらの拙著『男の嗜み』にも取り上げた3人でした。
一説によれば「一平二太郎、三、四がなくて周五郎」とも言うそうです。
ついでに龍馬(伝)ものの予定を列記します。いずれも著者は原口泉先生です。
まあ小生の立場では、版元に対して偉そうなことは言えた義理ではありませんが、よくもここまでやるぞというところでしょうか。
『世界で一番感動的な龍馬の手紙』(三笠書房)12月の予定。
『龍馬地図』(海竜社)来年1月の予定
『龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎』(KKベストセラーズ)来年2月の予定。
『龍馬が愛した四人目の女』(幻冬舎)来年4月ころの予定。
ヤーコン
投稿者:
terra
投稿日:2009年10月28日(水)21時06分5秒
編集済
shiozさんの スズメウリ小生も 始めて見たね。信号みたいだね。緑から赤に変化するのでしょうか。写真はよくあるバカ茄子とも犬ホウズキとも。これは最初は黒紫。その後確か黄色から赤に変化します。よくあるカラスウリの花は、平らな網目、とてもユニ―クな花でした。
ヤーコンの試し掘りをしました。一株でも写真のように沢山。特徴は土の中では、焼き芋のように黒い。そして地中深く育っていきます。丸い物もあれば、細長い物も。その上、来年のための新芽も、株が増えるように根元に出来る。
味はと言えば、苦いの苦くないのって堪えられない.
がしかし、すぐ甘くなります。
タイガ ・ ・ ・
投稿者:
はりまの shioz
投稿日:2009年10月28日(水)18時59分44秒
タイガースにジョージマくんが入団するというような お話ではありません。
先に、AA-3さんからの 三足烏のお話がありましたが ・・・ 一昨年から昨年にかけてBSフジで放送された韓国ドラマ「チュモン」によれば、そのチュモン大王が建国したという「高句麗」の国章は三足烏だったようで、神武東征の八咫烏と照らし合わせてみると、江上波夫 氏の「北方騎馬民族征服王朝説」もマンザラではないのかも???
「チュモン」に引き続いて同じ枠で放送された、チュモンの孫にあたり 高句麗の勢力拡大に成果を挙げたという「ムヒュル」の物語が9月で終わって、その放送枠の続きは、ドラマではチュモンと相愛の仲だったけれどもハッピーエンドには成れなかった「ソソノ」という女性が半島を南下して、その子孫が建国したともいわれる「新羅」の、建国2・3百年後(?)の物語が始まっています。
NHKでは、「チャングム」と同じ監督による「イサン」という李王朝時代のドラマが始まっておりますネ。
韓流の大河ドラマも結構楽しめますが ・・・ 日本でも いよいよ、超大河「坂の上の雲」が始まるそうですが、編集者のmokki殿としましては、「龍馬伝」に留まらず、こちらの方についての出版企画は如何なのでしょうか?
すうめのさかおけ
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年10月28日(水)11時42分20秒
Zっちゃんのスズメウリというのを見て、色は違うけれど木の枝に硬いウズラのたまごのような形の繭をつけるイラガを連想しました。
茶毒蛾のサナギが入っていて、うっかり触ると刺されて、激痛が走ったものでした。
カラスウリというのはよく見かけますが、スズメウリというのは初めてみました。
カラスノエンドウ、スズメノエンドウ、カラスムギ、ハトムギ、サルナシ、サルトリイバラなどなど、鳥や動物の名前がついた植物って多いんだよね。
風のリボン
投稿者:
はりまの shioz
投稿日:2009年10月27日(火)21時53分49秒
編集済
加古川にも、その昔には花街も在ったようですが ・・・
加古川の花の街からは一里以上も外れた鄙の里に在る我が家でも、
茶の花
が咲いております。
そして、山の茶の花(サザンカ)も下の写真の上段のように咲きはじめました ・・・ この2種の花は、30年以上前に、彼のイナビノオオイラツメ(景行天皇后:ヤマトタケルの母)の陵の在る“日岡山”から種を採取してきて垣根に蒔いた実生のものです。(あと1本、もう少し白っぽい花の咲く、同じ素性の木があるのですが、未だ咲いておりません。)
中段は、ツワブキの花 ・・・ これは、種が風のリボンに乗って流れて来たのでしょう。
下段は、ヤツデの花 ・・・ これも、風か鳥が運んできた自生のものです。
更には、花ではありませんが、
こんなん
(スズメウリと呼ぶそうです)も、色付いております ・・・ これは、数年前に近所の人から苗を貰って植えておいたものものから実が落ちて、繰り返し毎年自生してくるものです。
サザンカ
白澤(はくたく)
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年10月27日(火)15時06分33秒
目が3つで手が1本、足が6本な〜んだ?という謎かけがありました。
答えは、馬に乗った丹下左膳。というんだけど・・・
そんなものではなくて、白澤は、人語を解し万物に精通する聖獣ということに古来から中国ではなっています。
顔に3つ、胴体に6つの目があり、額には二本、胴体には四本の角があるのだそうです。
遭遇すると、その家は子々孫々に至るまで繁栄すると言われておりますので、どうか皆様も会うことができるといいですね。
鷺
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年10月26日(月)12時24分47秒
編集済
石神井公園を散歩していると、たくさんの鳥を見ることができます。
白鷺・青鷺・鵜・鴨・カワセミなど、水近くにいるものも多い。
子供のころ、父親が田圃に鯉の稚魚を放ったことがあった。
農薬を使わないで稲の根元に生える草を育ちにくくさせることと、秋には育った鯉を獲ることもできるという一石二鳥の目論見があったようです。
しかしながら鼠に食べられたり夜烏(五位鷺)に食べられたりして、秋に水を落としたときには数匹を残すのみでした。
カラスが好きだという人は少ないが、大昔には荒地を開墾してようやく作物が取り入れできるようにるとカラスガどこからともなくやって来るというので、その飛来を喜んだとも聞く。
神話の世界に出てくる八咫烏(やたがらす)は、三足のカラスで太陽の中に棲むとかいわれる。
まあ、いろいろあるが、どうもね。
石神井池でカラスに餌付けをしていたおばあちゃんは、注意を受けてそれを取りやめたということだが、むべなるかな。
の
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年10月25日(日)18時11分13秒
編集済
雀百までとか申しますが、大鷲だって少年時代からの熱い思いというのは、いくつになっても消えずに残るものなのだということが、mokkiさんの書き込みから伝わってきます。
むかし(なんていうと年のせいだといわれかねませんが)の歌は、心を打つ歌詞とメロディーが多かった。
近頃のやたら騒がしい音は、アストラル体を傷つけてしまうのではないかと危惧されてなりません。
ところで、「の」があるのとないのとで全く意味が違ってしまう言葉というのがあります。
Ex. 花の街 花街・・・
こういうのって、集めるとかなりあるのでは?
街道てくてく旅 加古川
投稿者:
terra
投稿日:2009年10月25日(日)13時20分12秒
編集済
信長公記によると、秀吉の中国攻めで多くの城主が抵抗したのに対し、御着城は秀吉の応援に来た信長の息子信忠が、城下に火を放ったことですぐ講和した。一方加古川城も、「別所与力嘉古川の賀須屋内膳の城を借り軍勢を入れ…」つまり初めから講和して、兵を城に入れ、秀吉軍本隊は書写山に登り、砦を構えた。その裏には小寺官兵衛が動いていた。
その後糟谷内膳は、秀吉の家来になり、信長跡目相続争いで賤ケ岳に参戦した。柴田勝家との戦いで一番槍の栄誉にもなったのです。7本槍で一人戦死して6人になった時、よく働いた福島正則を加えることを提案した。しかし、今日、福島正則は加藤清正とともに、7本槍の代表のように伝えられております。
その後加古川は河川、陸上交通の接点で軍事上重要な地だったため、秀吉は引き続き糟谷に加古川を治めさせた。
やがて関ヶ原の戦いでは、秀吉恩顧の武将として、西軍に参加。…
西軍の大将三成は関ヶ原の戦いもむなしく、斬首される前に柿(干し柿)を勧められたが、柿を食べると腹を冷やすため体に障る 。と言って断ったと伝えられております。
写真は三多摩の柿。当方今年は、たまたま柿の当たり年。向こう三軒両隣にあげてもアマりあり。しかし。うちのかみさん、よく柿食うお人だ!大丈夫かな。
(追加 “街道てくてく旅 御着”は不注意で消えました。アシカラズ)
加古川と花の街
投稿者:
mokki
投稿日:2009年10月24日(土)07時55分24秒
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久しぶりにNHKの衛星放送で「抒情歌大全集」というのを録画し、真夜中に聞きはじめたら、2時間たっぷり、終わりまで見てしまいました。
その中で、出演者の一人、菅原洋一が、「私は加古川の生まれで……」と思い出を語っていて、懐かしいその地とそこに住まう一人の翁を思い出していました。
「♪ふけゆく秋の夜〜」の「旅愁」から始まって、お定まりの「故郷」の大合唱で終わるまで、仕事もやりくりもすべての憂さを忘れて聞き入り、また無性に歌いたくなってしまいました。
途中では、由紀さおりが語った歌にまつわるエピソードもなかなか聞かせました。
「さくら貝の歌」や「花の街」の生まれたいきさつ。とくに「花の街」は、実際にはまったく、七色の谷を越えて、風のリボンが輪になってあふれていた花の街があったのではなく、作詞者・江間章子が戦後の焼け野原に立って、はやくそんな街が蘇ってほしいと夢想した歌だったといいます。
たしかにそう言われてみると、そんな話をどこかで聞いたことがあると、ネットをひっくり返してみたら、やはりありましたありました。江間章子自身が教育芸術社の音楽教科書にこう書いているそうです。
「花の街」は私の幻想の街です。
戦争が終わり、平和が訪れた地上は、
瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。
その中に立った私は夢を描いたのです。
ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる、
平和という名から生まれた美しい花の街を。
詩の中にある「泣いていたよ 街の角で……」の部分は、
戦争によってさまざまな苦しみや悲しみ
を味わった人々の姿を映したものです。
この詩が曲となっていっそう私の幻想の世界は広がり、
果てしなく未来へ続く「花の街」となりました。
――この歌には私にとって、また懐かしい「思い違い」がいくつかあります。
その1つめ。同じ江間章子の「夏の思い出」と同じく、というよりむしろこちらのほうが先のラジオ歌謡だったとずっと思っていました。
ラジオ歌謡の初期作品にはほんと名作が多かったですね。第1号が「風はそよ風」、第2号が「朝はどこから」、第3号が……と思い出していって、みんな名曲と思えるのは、それほど新しい歌がなかった、飢えるように歌を求める時代だったからだとも思いました。
そんななかの1曲が「花の街」だと思っていたら、これはラジオ歌謡ではなく(よく間違えられるそうですが)、ラジオはラジオでも「婦人の時間」という番組で発表されたものだったそうです。
思い違いの2つめ。ある時期まで、1番と2番に「春よ春よと」という同じ歌詞が出てくるように、何の疑いもなく歌っていたような気がします。考えてみたら、江間章子ほどの詩人が、不用意に同じ言葉を使うはずもなく、正しくは1番のその部分は「歌いながら」だったのでした。
思い違いの3つめ。加古川で思い出したのですが、なぜかこの「街」が神戸あたりだと聞いたような気がして、ずっとそう思い込んでいました。ところが、作詞者の足取りに関西はほとんどなく、作曲者・團伊玖麿にも関西で作曲したような形跡はありません。
そんなとき例の「歌う会」で歌った「春の唄」のことを調べていたら、この「♪ラララ、紅い花束車に積んで……」という詩の舞台が西宮の市場だったらしいことがわかりました。ああ、これか、これと「花の街」のなんとなく似た雰囲気が、混同を生んだのだと悟りました。
でもいいですよね。加古川あたりに「花の街」があっても……。
その「花の街」の翁が、折にふれ、それぞれの季節の花の写真を、輪になって流れくる風のリボンにそえて届けてくれる、まさに「花の街」からのあふれくる便りです。
法る
投稿者:
AA-3
投稿日:2009年10月23日(金)14時42分0秒
「法る」をなんと読むか?
これを「かたどる」と読めた人は、かなり武道の嗜みが深い。極意書などに出てくるようです。
では、「人相」などという場合の「相」とは何のことなのでしょう?
相とは、心が形に表れたものということ。
ここまでが前置きです。
遅い昼食を摂りに出かけたところ、お店の前に設えられた喫煙場所の灰皿のところで、かなりイカレタ格好をしたニイチャンが二人でタバコを吸っておりました、
通りかかった外人さんが手を挙げて、二人にニッコリ笑いかけながら通り抜けたので、知り合いなのかと思ったのだけれど、どうもそうではないらしい。
「今の外人、なんで笑いかけて行ったんだろうね?」
「外人にだってオカシイ奴はわかるんじゃねえの。」
うん、若いのに冷静に自己分析ができてる。
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