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伊賀上野入交家住宅は今…

 投稿者:terra  投稿日:2009年11月 1日(日)11時34分4秒
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   mokkiさんの女談義、オット“龍馬の女”追跡の取材、司馬遼太郎も真っ青。凄いね。

 入交家住宅のことを調べようとしたら、それは大変、戦国時代から追っかけなくてはなりません。それに土佐の高知県はもちろん、伊賀上野にしても重要文化財として、市に移管したとはいえ、生活者であり軽々に書くものでもありません。

 武市半平太も然り。子供がいないまま獄中の露と消えた武市の奥さんは養子をむらい、その子孫が現在半平太の遺品を保管している

 又、桂浜に龍馬銅像を建立した入交好保さんは高知での本流、思想家であり、ゴルフ場,鉄道、ガス会社など作った。そして日本郵政の社外取締役になられた入交太郎氏は、お孫さんかそれとも曾孫さんか、いずれにしても入交家本流の社長です。

 伊賀上野の入交家については市がPRしている案内文の要約で変えたい。



 1600年の関ヶ原の戦いでは長宗我部氏が西軍についたため東軍に破れ、家臣の入交氏も無禄になったが、伊予宇和島8万石から伊予今治20万石に加増移封された、東軍の藤堂高虎が積極的に土佐衆を召抱え、当時の入交家の一部が藤堂高虎に属した。藤堂高虎はその後、徳川家康に重用され伊勢・伊賀32万石を与えられたので、入交家の一部もこの時伊賀上野にやってきて居住した…

   柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

 ということは法隆寺の鐘は、柿を食べると鳴るの?

 写真は入交教授の長宗我部から山内政権への移行過程を研究した本
 
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