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新政権による日本郵政株式会社の新役員が決まった。新社長の他に、曽野綾子さんや、内外の著名人がずらりと指名されました。
その中に、地方の社外役員に、高知の名門入交本社の社長、入交太郎氏が選ばれた。入交家は、高知県経済界で断突だが、県内ばかりではありません。もう10年になりますか、ホンダの副社長からセガの社長になられた高知出身の入交昭一郎氏が、華麗な転進と報道されたりしたこともありました。
この前の書き込みで、月形オット武市半平太研究の,第一人者の入交好脩(いりまじり よしなが)のことは書きました。そして桂浜の龍馬銅像のことも…。
来年坂本龍馬の大河ドラマが予定されている。
龍馬の半生は武市半平太抜きには語れません。
関ヶ原の戦いで土佐の長宗我部は西軍についた為に破れた。そして家康により、土佐は、24万石の大大名になった山之内家の時代が、300年続いた。
戦国時代から入交家は、一領具足で有名な長宗我部の武将であった。山之内の国替えにより、長宗我部は乗っ取られた形になり、上士,郷士といった、土佐藩は日本で最も厳しい身分制度の時代が続いたのです。
その入交家が何故、今日高知県一番の名家になったのか、その経緯が気になります。
現在の入交経済を作った元は、江戸時代の中期、石灰に注目したことでした。
伊那谷もそうであったように、この時代土佐でも、紙漉業が主たる商業生産。
なぜこの時代に石灰?鉄鋼業でも使うという。農業でもホウレンソウを蒔く前に,土壌改良で消石灰を使う。あの石灰?
石灰の話はさておき、夏に伊賀上野に寄った。この時、最近市民に開放された武家屋敷“入交家住宅”という建物を見ました。(つづく)
写真は江戸中期台風で倒壊、昭和の始めに建てられた伊賀上野城
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