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久しぶりにNHKの衛星放送で「抒情歌大全集」というのを録画し、真夜中に聞きはじめたら、2時間たっぷり、終わりまで見てしまいました。
その中で、出演者の一人、菅原洋一が、「私は加古川の生まれで……」と思い出を語っていて、懐かしいその地とそこに住まう一人の翁を思い出していました。
「♪ふけゆく秋の夜〜」の「旅愁」から始まって、お定まりの「故郷」の大合唱で終わるまで、仕事もやりくりもすべての憂さを忘れて聞き入り、また無性に歌いたくなってしまいました。
途中では、由紀さおりが語った歌にまつわるエピソードもなかなか聞かせました。
「さくら貝の歌」や「花の街」の生まれたいきさつ。とくに「花の街」は、実際にはまったく、七色の谷を越えて、風のリボンが輪になってあふれていた花の街があったのではなく、作詞者・江間章子が戦後の焼け野原に立って、はやくそんな街が蘇ってほしいと夢想した歌だったといいます。
たしかにそう言われてみると、そんな話をどこかで聞いたことがあると、ネットをひっくり返してみたら、やはりありましたありました。江間章子自身が教育芸術社の音楽教科書にこう書いているそうです。
「花の街」は私の幻想の街です。
戦争が終わり、平和が訪れた地上は、
瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。
その中に立った私は夢を描いたのです。
ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる、
平和という名から生まれた美しい花の街を。
詩の中にある「泣いていたよ 街の角で……」の部分は、
戦争によってさまざまな苦しみや悲しみ
を味わった人々の姿を映したものです。
この詩が曲となっていっそう私の幻想の世界は広がり、
果てしなく未来へ続く「花の街」となりました。
――この歌には私にとって、また懐かしい「思い違い」がいくつかあります。
その1つめ。同じ江間章子の「夏の思い出」と同じく、というよりむしろこちらのほうが先のラジオ歌謡だったとずっと思っていました。
ラジオ歌謡の初期作品にはほんと名作が多かったですね。第1号が「風はそよ風」、第2号が「朝はどこから」、第3号が……と思い出していって、みんな名曲と思えるのは、それほど新しい歌がなかった、飢えるように歌を求める時代だったからだとも思いました。
そんななかの1曲が「花の街」だと思っていたら、これはラジオ歌謡ではなく(よく間違えられるそうですが)、ラジオはラジオでも「婦人の時間」という番組で発表されたものだったそうです。
思い違いの2つめ。ある時期まで、1番と2番に「春よ春よと」という同じ歌詞が出てくるように、何の疑いもなく歌っていたような気がします。考えてみたら、江間章子ほどの詩人が、不用意に同じ言葉を使うはずもなく、正しくは1番のその部分は「歌いながら」だったのでした。
思い違いの3つめ。加古川で思い出したのですが、なぜかこの「街」が神戸あたりだと聞いたような気がして、ずっとそう思い込んでいました。ところが、作詞者の足取りに関西はほとんどなく、作曲者・團伊玖麿にも関西で作曲したような形跡はありません。
そんなとき例の「歌う会」で歌った「春の唄」のことを調べていたら、この「♪ラララ、紅い花束車に積んで……」という詩の舞台が西宮の市場だったらしいことがわかりました。ああ、これか、これと「花の街」のなんとなく似た雰囲気が、混同を生んだのだと悟りました。
でもいいですよね。加古川あたりに「花の街」があっても……。
その「花の街」の翁が、折にふれ、それぞれの季節の花の写真を、輪になって流れくる風のリボンにそえて届けてくれる、まさに「花の街」からのあふれくる便りです。
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