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同感 つづき

 投稿者:はりまの shioz  投稿日:2017年10月17日(火)18時36分41秒
  ワタクシも、祥平さんの写真に、皆様と同様、温かさと懐かしさを感じていたのですが ・・・

この話題のあと3日間、ページが凍結しているようなので、気分直しに、少しばかり関連した話題を提供しようかと ・・・

トップの祥平さんの写真で、700メートル辺りまで立ち昇る、天竜川の川霧の上方に、巍巍として聳え連なっている「赤石山脈の山々」 ・・・ やま音痴を自称しておられる木器さんでも、全て、お判りではないかと思われますが、如何でしょうか?

おそれながら、念の為、それらの山々を解説させて戴きますと ・・・

1枚目の写真で ・・・ 左右方向の中央付近に、平らなようなギザギザなうような山並が見られますが、これは、伊那山脈の「奥茶臼山」を前景とした、「赤石岳・小赤石岳」の連山です。
そして、その左右に、饅頭のような丸い山が、並んで見えますが、右側の饅頭は伊那山脈の「鬼面山」で、その更に右方には、「大沢岳」や、「聖岳」の連山が認められます。

「赤石岳」の左側の饅頭は、伊那山脈の「前茶臼山」で、その左方には、平らな稜線に見えるピークと、続いて谷を挟んだ鋭いピークは、荒川岳(前岳・中岳・悪沢岳)で ・・・ その左は、だらだらとした稜線が続いて ・・・ 一枚目の写真の左端は、小河内岳です。

2枚目の写真の右端は、「赤石岳連山」で、ほぼ中央に見えるのが、前述の「小河内岳」、その左方向に見えるのが「烏帽子岳」で、その間の前景に見えるのが、伊那山脈の「大西山」です。
「烏帽子岳」の左方に、高く聳ゆる山が「塩見岳」です ・・・ その左方の左端には、「農鳥岳・西農鳥岳」が見えています。

ということで、なんとか、お分かりいただけましたでしょうか ?

 

思いは同じです

 投稿者:Retsu  投稿日:2017年10月14日(土)15時31分25秒
編集済
   柏雀、木器さんの感想と同じように、私も祥平さんの写真には温かさと懐かしさを感じました。
 美しい景色も人物を写し込むことで、単なる絵葉書から、身近で温かな生活感の在る眺めに
なりますね。
 とても素晴らしいと思いました。
 
 

書きすぎ?

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月14日(土)14時30分16秒
  英語では自分のこと(一人称)を表すのに、多分 I my me で済んでしまうのに、日本語でのそれは私・儂・俺・みども・拙者・おいら・おれっち・わい・うち・などなど数えが下ればいくつも出てくる。
日本語は、主語に自分を表す語を使わなくとも通じるということもあるが、自分を表す言葉を使うのは自己主張が含まれるとして避けられた側面というのがあるらしい。
だからそれを使うときには、時と場所と場合を瞬時に判断して、使い分けた。

最近は西洋化したのか、俺が俺がと他を押しのけてでも自己主張する人が多くなった。
いいのか悪いのか解らないが、程度を越えると、うるさいだけで顰蹙を買ってしまっている芸人さんなども見受けられるから、ほどほどにした方が良いかも知れません。

このところ書き込みをし過ぎているかもしれません。
少し控えた方がいいのかも・・・
 

まったく同感!

 投稿者:木器  投稿日:2017年10月14日(土)08時27分2秒
   じつは私も投稿しようと思っていました。
 トップ写真の親子連れ。
 最近、田舎に帰るたびに、どこへ行っても人が歩いていないなあ、と感じていました。
 そこへこの写真です。遠景の中に溶け込んでやはり人がいるっていいもんですね。
 

何を話しながら・・・

 投稿者:柏雀  投稿日:2017年10月13日(金)23時46分54秒
   この掲示板に載っている平岩さんの写真の一番上、母親と小さな娘3人(?)の後ろ姿が写っていますね。

 何を話しながら坂道を下りていくのかな? などと考えながら見ています。

 懐かしさを覚える故郷の平和な風景ですね。じつにいい写真です。
 

ダイヤモンドに目が眩み

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月13日(金)21時25分58秒
  この間コーメイさんが書いていたダイヤモンド雨降り山は、見ることができたのでしょうか?
写真をとても楽しみにしています。
自宅近くから見られるとはかなり贅沢で、羨ましい限りです。

おうしんはまだ山登りをしていた頃には、高尾山の山頂から冬至の前後に見ることのできる
ダイヤモンド富士というのを見に行ったものでした。
しかし、そこはカメラの三脚を立てた人たちが大勢陣取り、とても雰囲気が悪くなってきたので、
段々に行かなくなってしまいました。
暗くなってから山道を下りることは苦にしなかったのですが、余りに我が物顔に振る舞う人たちが
犇めき合うのには辟易することが多かった。
日本人の美徳である譲り合いの精神というのはどこに行ってしまったのやら。
風景や花の写真を撮るときにはそれを思い出して、気を付けるようにしています。

四国の新幹線って、なかなかシャレテますね。
 

四国の新幹線

 投稿者:コーメイ  投稿日:2017年10月13日(金)21時00分38秒
編集済
   愛媛県宇和島市は、真珠の生産で日本一、世界的にも有名という。宇和島城は、仕事で訪れた消防署近くの標高70~80メートルの小高い丘の上にあり、数年前、時間があったので、登ってみた。

 ここから高知市へ移動するのだが、これが甚だ厄介だ。松山市まで行って、そこから高速バスで、冬には雪に覆われる、四国の北海道と呼ばれる山間を抜けていくのがベターだが、時間が合わないので、JR予土線で2時間余り窪川まで行き、そこから高知へ約1時間、特急「南風」に乗る。

 予土線で窪川までは、1日6往復しかない。途中の江川崎駅は、以前に触れたと思うが、2013年8月12日、日本一暑い温度(41℃)を記録した駅という。四万十川と並走して南下するのだが、川は蛇行や、地形の複雑さを反映して、ときどき列車と逆方向に流れる。写真上は、川は右から左に、列車は左から右に進んでいる。「半家」という駅があり、「はげ」と読むのだそうだ。「土佐昭和」「土佐大正」という駅もあり、そのうち「土佐明治」か「土佐平成」という駅ができるのかもしれない。

 車両は1両編成。改札口で駅員に切符を見せると、「2番線の新幹線に乗って下さい」と言う。中、下の写真は、その「JR四国」最新鋭の「新幹線」である。車内も志向を凝らしている。ここでは、お見せ出来なかったが、一度乗ってみる?

 

先端技術

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月13日(金)16時25分55秒
  先日打ち上げに成功した人工衛星みちびき4号機が加わることで、合計4基の衛星が連携して稼働することになり、日本のGPS精度はマッチ箱大のものまで解析でき、誤差は6センチだという。

セルロースナノチューブという技術を確立しつつあるという。紙の延長線上にあるというが、これは鉄の5倍の強度を持ち、7分の1の重さで物を作ることができるという。
日本は国土の70パーセントが山林であるが、そこに育つ樹木の3分の2は植林などにより人工的に管理されていることから、原料の継続確保も容易なのだという。

マグロの完全養殖には成功しているし、ウナギのそれも続くに違いない。
日本にはその他にも、カーボンナノチューブ、カーボンナノベルト、特殊鋼、精密工作機械、電磁石、電池など数多くの他国が追随できない技術があるのだという。
これらは、地道でたゆまぬ努力が積み重なってのことである。
働くことを美徳として考えてきた国だからこそ、為し続けられる。

最近気になるのは、日本が有する特殊技術を擁する鉄鋼や電子技術の大企業に不祥事が発覚することである。
日本人が物作りに取り組むとき、基本的にゴマカシをすることがあるとは考え難い。
ハメラレタのではないのか?と感じる人が多いのだという。
不祥事があってそれが問題になれば、企業の命運にも影響が出るし、株価も下がる。
外資が入ってくることで、門外不出の技術を他国が簡単に手に入れることができるという戦略というか謀略があるのではないのかと危惧してのことである。

いろいろ防衛しなくてはならないことが多いように感じる。
 

胡蝶

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月12日(木)15時30分7秒
  胡蝶というのは、蝶の別名であり、高貴な呼び方だとする解説がありましたが、
ちょっと探してみたら、かなり説得力のある説明がありました。
曰く
おそらくですが「蝴蝶」という字が簡略化されたものだと思います。
この「蝴」という字の成り立ちは、虫偏+大きいという意味からなり、「蝴蝶」というのは大型のチョウを意味しています。

そして、いつしか漢字が簡略化され、蝴の虫偏が外れ、「胡蝶」となったのだと思います。
この様に漢字が簡略化されるのは割とあることなので、(例としては「蝌蚪(おたまじゃくし)」が「科斗」となったり)・・・
これもその一例ではないかと思います。とのことでした。
 

俳句?

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月12日(木)11時57分14秒
  俳句がいくつかでてきたことで、思い出したことがある。
中学校の国語の時間に、皆で俳句を作って、互いに感想を述べあうという授業があった。
級友の一人が、しんしんと 積雪は 積もる一方 というのを詠んだ。
先生は気に入ったようだったが、おうしんは、積雪が積もるという表現はおかしいという意見を述べた。
しかし不思議なことに、自分が詠んだ句も、他の級友が詠んだ句も全然覚えていないのに、これだけを今も覚えている。
今考えても、この句が良いとは思わないのだけれど、どうしてこれだけが記憶に残っているのだろう?
 

ついでのついで

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月11日(水)20時06分43秒
編集済
  漢字を日本語として使えるように工夫した訓を用いた万葉時代まで遡れば、

ぱぱうえつぁまぽら (母上様ほら)
ディエップディエップんが (蝶々が)飛んでいますよ。


胡蝶というのはどのような蝶なのだろう。
胡と言えば、中国西北部を指す語。胡弓とか胡瓜とかは、そこから伝わってきた。
そういえば、詳しくはないが歌舞伎の鏡獅子だか連獅子だかにも胡蝶というのが出てくる。
 

胡蝶

 投稿者:クマメール  投稿日:2017年10月11日(水)13時22分17秒
  テフテフが話題になっているようですので、おじゃまします。
文様のなかに「胡蝶」があります。ご存じの方も多いとは思いますが、道教の始祖、荘子は夢のなかで、蝶になってひらひらと舞っていたが、目が覚めて、今の自分は蝶が見ている夢なのか、と現実と夢の間を逍遙する物語を残しています。胡蝶文様には夢と結びつけた意味合いも生まれました。
この間の、障子に映る蝶の影写真を見て、こんなことを、ふと思い出しました。
 

ついで

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月11日(水)11時33分21秒
  昆虫採集は頭数で数えるところから来ているらしい。
でも、他の昆虫は1匹2匹と数えるんだけどね。
てふてふが1頭 韃靼海峡を 渡って行った  では様にならない。

蜻蛉釣りというのは、 細い竹の先に糸で雌のトンボを 結びつけ、雄を誘い寄せて捕らえる遊び。、竹の先にとりもちを塗って捕らえる遊び をもいう。

鳥刺し(とりさし)は、竹竿の先に鳥黐などをつけて、刺すようにして捕獲することから。

兎は、昔このページでZっちゃまが書いていた通り、四足動物を食べることが禁忌とされたいたのを、鵜と鷺であるから鳥だとして食べた。酒を般若湯と呼んで飲んだのと同じことだと思う。

日本語における数の数え方は、形状であったり用法から来ていることが多いように感じます。
 

トンボ釣り

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月11日(水)10時37分50秒
  蜻蛉釣り 今日は何処まで行ったやら

トンボは釣ると言い、鳥は刺すという。
馬は引くといい、牛は追うと言うのがそもそもの言い方。
因みに、蝶々の数え方は、1頭2頭。1羽2羽と数えるのは兎。
日本語というのは難しいですなむ。
 

蜃気楼は蛤が吐く息

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月11日(水)09時37分28秒
編集済
  立正安国論かなにかに、鳩が鷹になり、スズメが蛤になるとあったようですが、真摯に努力してきて尚、至らざることを自戒した句なのだと思います.
選者も広範な知識があって、それを読む側にも素養が無いと解らない、ということですか。
人間一生学びだといわれますが、理系どころか文系だって、知らない人が多いでしょう。
「知らざるを知る」老い込んではいられないということでしょうか。
 

てふてふだったか

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月11日(水)08時59分9秒
  295さん、柏雀さんの記事の香りを継いでのことだとは思いますが、
皆さん いつまでもお元気でお過ごし下さい、ってのは、お別れの言葉に
聞こえてしまう年回りの人たちには堪える言葉です。
手回しよく遺影を用意しようと考える堅実な生き方をされている方も居る
ようですが、まだまだ残り30年はあるんですぜ。
 

(無題)

 投稿者:295.  投稿日:2017年10月11日(水)08時47分24秒
  はりまさん  ありがとう。皆さん  いつまでもお元気でお過ごし下さい。  

理系の雀

 投稿者:木器  投稿日:2017年10月11日(水)08時30分1秒
   いや、詩がありますね。皆さんの会話。会話というより対話。それができるのが独り言のブログと違って、掲示板のよいところでしょう。
 いや、死がありますね。てふてふの影絵に映されたそこはかとない死の美しさ。それを見るまなざしのやさしさ。なんてきれいなんでしょう。日本人にしかわからないもののあはれとはこういうことでしょうか。
 いやしがあります。すさみつかれた神経には……。

 てふてふの死と言えば、思い出すのは手妻師・藤山新太郎氏の「蝶のたはむれ」。
 雌雄二匹の紙の蝶が扇子にあおられてたわむれあい、ついには葉陰に隠れてしばしの間、そして何十の子蝶となって乱れ飛ぶ、そのみごとで得意な場面を、演じる側はニコリとしてもいけないと、氏の師匠は戒めたといいます。
 それは、たくさんの子の誕生のまえに、葉陰に眠る二匹の蝶の死があったことを忘れてはいけないからだ、と。

 てふてふの連想でまた久ぶりにお目にかかったおうしんさんの好きなあの一行詩のおもしろさは、韃靼海峡のいかつい文字と音、そして「てふてふ」のはかなげでやわらかい音の対比、ダッタンでしょうね。
 おもしろいといえば、今週の読売俳壇にこんな面白い句が載っていました。
「蛤となれぬ理系の雀なり」(前橋市 船戸菅男)
 というのですが、理系の人、そして柏の雀さんも「理系の雀」ではないかもしれませんが、これって何のことかわかります?
 この句はその日の首席でしたから、選評を読んだ人はおわかりでしょうが、こんな季語があるんですねー。世の中には知らないことばかりです。
 

今年も残念!

 投稿者:コーメイ  投稿日:2017年10月10日(火)22時00分8秒
   ここ数年、我が家近くからの「ダイヤモンド大山」を狙っている。大山頂上には、「阿夫利神社」があるが、別名「雨降神社」 雨雲に覆われていることが多い。

 快晴の日でも頂上に雲がかかることがあるが、昨日は、違った。こんな日に「ダイヤモンド大山」が出現すればと、気長に待つ。

      昨日の模様は、↓

       https://www.youtube.com/watch?v=Bhn8v9k_Tg4
 

蝶々

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月10日(火)13時24分0秒
  蝶々が一匹韃靼海峡を渡って行った
韃靼海峡なんて言ったって、どこのことか解らない人がおおくなりました。
蝶々は驚くべき飛翔距離をもっているのだとか。
柏雀さんの蝶々も、根性で遠くまで行ったに違いありません。
 

むかし話

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月10日(火)11時36分8秒
編集済
  女性は月の光を浴びると情緒不安定になりがちなのだとばかり思っていましたが、
そっか、「竹取の翁」の話から来てるんですか。
竹は古来より精力剤だと言われていたようです。
竹を常食していたお爺さんは性力が余り、子ができてしまった。
年甲斐もなくと口の端に上るのが気まずかったので、竹から産まれたということに
したんだ、という説があります。
でも、それだと月に帰ることには結びつかないよね。
 

昼寝

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月10日(火)11時11分17秒
  最近昼寝をするようになった。
で、その分、一日中昼寝をしていた月が中天にかかるころ起きだす羽目になる。
起きれば夜にでも働くということになるが、夜働きではありません。
徳が高いわけではないから太陽のように隅々まで照らすというわけではないけれど、思いつくことをブログネタなどにする。
丑三つ時にかんがえごとをするのは良くない、とされているけどネ。
 

おなご と 月

 投稿者:はりまの shioz  投稿日:2017年10月10日(火)10時45分7秒
  295 さん の疑問に釣られて、ネットを探っていたら ・・・
 ・・・ こんなんが 引っ掛かりました。
 

なぜ

 投稿者:295.  投稿日:2017年10月10日(火)08時26分10秒
  おなご は 何故  お月様を見たらいけないの?  どなたか  教えてくださいませ??  

別れを告げにきた?

 投稿者:柏雀  投稿日:2017年10月 9日(月)21時44分8秒
   今日の午後、柏雀の書斎、というか作業部屋の西の窓に蝶がとまりました。

 左の羽は大きく欠損し、右側の羽にも穴が。

 しばらくして飛び立っていきましたが、きっとやさしい柏雀に別れを告げに来たのかもしれませんね。それとも、一緒に行こうと誘いに来た?!

 あの蝶は、今頃どこで横たわっているのだろう、なんて考えるのは、やっぱり秋のせい?
 

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月 9日(月)19時04分37秒
  月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど (大江千里)
仲秋の名月も過ぎて、今日はなに待月となるのだろう?
空に月は見えない。
ロマンチストだとは思わないが、秋は物憂い季節ではある。
女に月は見せるな、と昔からいわれるが、何故なんでしょうね。

太陰暦は、月の満ち欠けの周期を基にした暦であることはご存知の通りである。
その周期を朔望月といい、1朔望月を1月とする。
「太陰」とは、「天体の月」という意味である。
おおむね1年は360日前後であり、何故か洋の東西を問わず358という数字はツキというもののとって大事なものとされている。
 

腰折れ

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月 8日(日)17時24分57秒
  俳句には殆どど素人と思える芸人を何人か集め、お題を出して俳句を詠ませて講評する、という番組があった。
講評の先生がその世界でどんな地位を占めている偉い人なのかは知らないが、基礎的な作法や知識、言葉上のテクニックは確かに有るのだろうけれど、イジワルそうに酷評しているのを見たら、俳句の素養を身に着けさせようとしているとは思えなかったし、後味の悪さが後まで残った。

言葉というものは、出せばそれは行動を制限し、それに捉われるのだと、フランスのバルトとかいう哲学者が言ったそうだが、その彼が、日本人は言葉の外にある世界を作り出せる唯一の民族だと言って驚嘆したのだという。
それは、俳句というものの世界に触れたときにそう思ったらしい。

確かに俳句というのは限られた言葉数の中でいろんな事象を表現するのであるが、言葉で表されたことそのものが伝えたいことではない。もっと広範な意識が含まれているのであり、それを読んだ側も汲み取れる感性があって成り立つ。
それでも、詠むときの最初の感動は、いかに稚拙な句になったとしても、本人以外が手を加えてこねくり回すべきではないと思う。
添削して見栄えが良くなったとしても、感動は伝わらない。
向こう受けを狙っての小賢しげな句であれば、それは最初から見透かされるから問題外だが、俳句というのはテクニック重視ではないというのが、個人的な意見である。
かくいう私も、俳句を読んだらかなり下手な部類に属するに違いない。
しかし、読んだ側の感じ取ったままに任せればいいではないか。
人には良いものは誰が何と言おうと良いと感じ取れる能力が備わっている。
そういう意味でも、言葉というものを大切にしなければとは思うが・・・
 

翻訳できない

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月 8日(日)16時29分39秒
  紅葉の美しい季節を迎える。
日本の四季折々の風景は息をのむほどであり、迫ってくる筆舌に尽くしがたい感覚は、時に切ない程のものにまでなる。青春・朱夏・白秋・玄冬の全てにそれらは有る。

言葉に表現しきれないことを敢えて表現しないで「もののあわれ」だとか「わびさび」として感覚的に捉え、それを相互に理解しあえるというのが日本人の感性なのだと思う。
「切ない」とか「もののあわれ」だとか「わびさび」というのを表す言葉は、多言語には無いと言われる。
それを説明するには膨大な言葉数が必要となるであろうが、そんなことをしなくても伝わり合えばそれで良いのだと思う。感じ方に差が有ったとしても何ら問題とはされない。

豊かな実りに恵まれることと一緒に、日本は古来から自然災害の猛威にも曝されてきた。
そういう自然現象をあるがままに受け入れ、森羅万象すべてに大いなる意思を感じ取ってか、生かされてあることに感謝して、周りにあることを神として敬いもし、「おかげさまで」という言葉ができたのもそれであろう。

食事の作法というのがある。
主客があっての場合は、主人側が「召し上がれ」と声をかけ「頂きます」と客側が挨拶して始まる。南信では「お丈夫におあがりてや」と主側が言い「お辞儀なしに頂戴します」と客側がいう。
一人で食事をするときでも「いただきます」と言って手を合わせてから始まるのが普通である。

留学中であった息子が、習慣通りに「いただきます」と言って食事を始めたところ、同席していたハプスブルグ家の後裔である旧侯爵家の御曹司が「それは何のことか?」と尋ねたので、人間は心ならずも植物や動物の命を食事として摂らねば生きられない。だから「あなたの命を私の命としていただきます」という感謝とお礼の挨拶でもあり、食材料を生産してくれた人や食事を作ってくれた人への感謝の気持ちを込めて「いただきます」と食前に挨拶するのが、日本人の習慣なのだと説明したところ、いたく感じ入って、彼はそれ以来食事の度に日本語で「いただきます」と言うようになったのだという。その時は必ず嬉しそうな顔をして息子の方を見たのだとか。

「もったいない」という言葉も、多言語に訳せる適当な単語がないのだという。
物を大切に扱って長く使えるようにこころがけたり、無駄使いしたりしないで、修理したり再利用したりして最後まで使い切ることを表す言葉であるが、これも感謝から出てくる言葉であると思う。
日本語には、多言語に翻訳できない言葉というのが、他にも沢山あるのだという。
 

ユーフォー

 投稿者:おうしん  投稿日:2017年10月 6日(金)11時35分19秒
  UFOだとすれば、夢が膨らむ。
確かに円いものが見えます。
レンズに雨粒などが付いているとこのようなことは起るようですが、
写真で見る限り、空は晴れていますし、もう一枚の写真には、
それらしいものが写り込んでいませんから、新型のUFOかも。
 

UFO ?

 投稿者:はりまの shioz  投稿日:2017年10月 5日(木)18時46分45秒
  昨夜、ワタクシが投稿した「芋名月」の、1枚目の写真なのですが ・・・
気付いた方が居られるかも知れませんが ・・・

UFO が写っているのかも知れない! という気がするのですが ・・・
その写真で、月の右上方向に、うっすらと“円形”の物体が見えるような気がするのですが ?
画面を上の方から眺めるような感じにして戴くと、その物体が見えるのではないかと思われます。

その物体が、UFOではないとすると、“心霊写真”でしょうか ?!
何方か、適正な解釈をお教え戴けると有難いのですが ・・・ 宜しくお願い致します。

 

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